【持論口論】ニートになるには才能がいる

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タイトルは某公共放送の番組名を見たときにふっと思いついた造語。

持論でマウントを取ってくる人間同士は争いが絶えないイメージなので割と的を射た表現かなと自我持参。

それは良いとして、ニートになるには才能が必要だと常々思っている。

親の脛齧りや遊んで暮らせるだけの資産が必要だという経済的な意味合いではない。

膨大な時間をどう消費していくか、という才能のことだ。

仕事をしていると大抵の人間が一日の大半を仕事の時間に割かれ、また気力体力も削がれ自由な時間が殆どなくなってしまう。

もしも明日から仕事に行かなくて良いのなら、あれもこれも好きなことを好きなだけ出来るのに、と夢想することもあるだろう。

しかし、一年二年なら兎も角、十年二十年五十年という長い年月を仕事をせずに過ごすというのはどうだろうか。

コロナ禍で外出自粛をと呼びかける声に対して

「我慢の限界だ」

という反発する意見が上がる。

まだ、一年ちょっとだよ?

旅行や飲み会なんて行こうと思わないし、食料品以外の買い物はネットで完結出来る時代だよ?

世間の方々はニートの才能無さ過ぎじゃね?

これぐらいで我慢の限界とか言っちゃう人間はニートになったことが原因で心身を病んでしまうんだろうな。

陽キャには不遇の時代が来たものだ。

かく言う私は典型的な陰キャ引きこもりだ。

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